ドイツで挑戦するということ
英語の授業が終わったため、午後は自由時間になりました。
どういう風に使おうかうきうきでした。
まず住まいに帰ります。
食事をします。
窓に1匹の虫がいました。
結論から言うと、その虫をずーっと眺めていました。
動物の本能と人生を凝縮した姿がそこにあるのではないかと思って眺めました。
今日はとても天気がいいです。
光に寄っていく習性かもしれませんが、おそらく外に出ようと頑張っている様子でした。
少し窓を開けて外に出られる可能性を作りました。
虫は同じところを行ったりきたりしていました。明るく外が見える場所はガラスがあるため、いくらそこにいたって外に出る事はできません。外に出るためには外の見えない木製の縁を超えていかなければなりません。それでも虫は全体が見えていないため、ずーっと外のみえる窓ガラスをうろついています。そしてそこにいたらガラス越しではあるけど光を浴びる事も出来、わずかばかりの報酬も得られる。
虫もイラつくのか、急に飛び始め、暴走しました。
着地したのは木製の縁の所。
もがいた結果良いところに行きました。
それでも、また元のガラスに戻ってしまいます。
しかし一度もがいて別の場所に行ったことが活かされたのか徐々に縁にも足をかけるようになりました。
しかし不安があるのかまたすぐにガラスに戻る。
そんな事を繰り返しながら時間をかけて外に出る事が出来ました。
まず、目先のものに囚われてしまうのは動物の本能なのではないかと思いました。
そして、目標を達成するには目先だけをみていてはいけない。
一見遠回りに見えるかもしれない。実際に遠回りで真逆を行っているかもしれない。
それでも先のみえない事に挑戦しない限りは外に出られる事はなかった。
もがいて暴走してみられる景色、発見もある。
正解が分かっている客観的な立場から小さい生き物の動きを観ていると、やるべきことは結局は行動していかなければいけないという事を感じました。
そしてもう一つ大きかったのは私が窓を開けたという他者の介入。どんなに頑張った所で出口が無ければ出られない。誰かがサポートしてくれて成り立つものもある。
自分が大事にしている所がこの二つだからそんな風に感じてしまうのかもしれないですが、改めて大切な要素だと感じました。
なんだかこんな事を書いていると、病んでいる気がしてくる。
でも、今の自分もまさにその状況な気がします。
介護保険制度を学びにドイツに来た。
ドイツに来る前は実際に現場で働いて学んで・見学して学んで…等考えていたけど、理学療法士のもとでアシスタントとして働いてみたい気持ちもあった。
ドイツにきたらどうすべきか決めればいいと思って無鉄砲にきてしまいました。
でも、ただこっちで生活していても真剣に考える事が無ければ、いつまで経っても決められない。
今まではやはり語学中心で介護面での学びのアプローチをしていないわけではなかったが、本当に気持ち程度。
そして実際にこっちで介護職員として働いている人とのコネクションがまた出来そうになっています。
その時に働きたいのか学びたいのかと問われて迷ってしまいました。
介護保険制度を学びたいと言いながら、介護士として働いたことは無いし、言語不十分で大丈夫なのか、そして介護として働いたらPTのアシスタントの方はどうしよう…
完全に窓ガラスに止まって縁に足を出せない虫状態です。
今、窓を開けてくれている協力者がいる状況なのに…
そんな事を思いながら自由時間の増えた日を堪能していました。
時間が増えた分勉強をいっぱいできると思い、机に向かったら3時間くらい爆睡しました。
結果単なるニートで終わった1日でした。
同居人女性の彼氏が熱を出したようで今日はここの住まいに滞在しています。
彼氏が熱を出して彼女が看病で仕事を時短する。3時に行って5時に帰ってくる。とても融通の利く職場と思いました。
しかしその彼氏昨日も来てて彼女ともう一人の同居人の3人で布団に入って何かを観ながら大笑いしていたけど、1日での変化がとてもすごい。
でも本当に迷うなぁ…介護で働くか、アシスタントをやるか詩人になるか…
追記ですが、翌日その彼氏は元気になり彼女が高熱を出していました。